Q&A

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MBSRを平行して取り入れてもよい?


MBSR(マインドフルネス・ストレス低減法)はヨガや禅をベースに開発されています。


世の中にマインドフルネスが広まるきっかけを作ってくれましたし、うつ病の再発予防についての効果が実証されています。


出版されている本も分かりやすく説明しているものもありますので、うまく活用するということは良いと思います。


しかし、同時に実践するとSIMTとは異なる部分がどうしても気になると思います。


理解がまだ充分ではない場合、同じか違うかを気にして検証していく作業は、エネルギーが低下している時期には無理なような気がします。


どれか一つに絞って実践していくのをお勧めします。


自分に合っていそうだと思える療法を選んだ上で、更にお近くに教えてくれる所がある場合は、距離の近さを優先に選択されてもよいのではないでしょうか。


どの療法にも一長一短があります。


SIMTはMBSRの再発予防とは違って、完治することを目標においてセッションの内容が構築されてます。そのためMBSRの8週間のプログラムに比べて基本は10ケ月、症状の程度や本人の実践内容によっては1年以上かかる場合もあります。




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包んで映すとは?


見る・聞く・考える、といった感覚器官の作用が働くことで、イメージが自分の中に映し出されます。(それを観察することを洞察と言ってます。)


あるいは、他の言い方ではこういうものかもしれません。(自分はまだ西田哲学を西田哲学的な説明方法で充分に説明できないので)


「全ての物事は思考も含めて、映画館のスクリーンに映っている映像のようなもの」


映っている映像には、映画の中である役割を与えられた自分という人物や関係者がいて、与えられたキャラクターと制約の中で演じている状態。


それを見て気づいている自分は、映画であることを理解しつつも、本気で泣いたり楽しんだりもできます。映画であるからといって残念がったりもせずに存分に楽しむことができます。


但し、スクリーンに映っている映像に没頭し過ぎて、映画であることを忘れ、それに完全に同ー化してしまうと苦しんだりもします。


思考もスクリーンに映っていますが、スクリーンに映った思考はもちろん自分自身ではありません。


自分自身は、自分の思考や世界を映し出すスクリーンと、映し出すための光と、見たり聞いたり感じたりする素晴らしい受容能力、を持っています。


こう思うと、思考と同ー化せずにいられるかもしれません。


ここまでが意志的自己の領域です。


ただ思考と距離をとって観察するのは最初の段階で充分に意志を発揮して価値に向かって行動できてきたら次の段階があります。


叡智的自己、人格的自己の段階では自我が無くなってきます。自分と世界が近づいてやがてひとつになります。


自分は世界に開かれているし、世界が自分の心の中に映っています。自分の中は空っぽでありながら、あるがままを感じとる完全な受容体でもあります。


しかし、この説明ではまだ充分では無いし、私の理解もまだ充分ではありません。


私たちの本質は・・・自他不二とは・・・続きはまたいつか近いうちに・・・

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数を数えて呼吸法をしてもいい?


集中するだけがsimtの呼吸法の目的ではありませんので、単純に呼吸の数を数える方法(数息観)ではsimtに取り組む意味がありません。


ただ、心に落ち着きが出てくるまでの間だけであれば、数を数える方法を活用されてもよいと思います。


これはsimtを活用する立場でのお話でしたが、本来の数息観には集中するためのツール的な意味とは別に、元々はもっと深い意図もあるようですね。


全身全霊をかけて、感謝の気持ちをこめて一つ一つの息をさせていただく。自分の置かれている環境の中で一瞬一瞬を心を込めて生き切る。というような意味合いらしいです。


う―ん、こんな風にそこまで真剣に呼吸をしたことが正直ないかな。(^-^;


でも一瞬一瞬を大切にするマインドフルネスは本当はこういうシンプルなことが真実なんでしょうね。






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課題記録表が書けない場合は?


simtでは課題を実行した時、その内容を記録します。


記録表には、できるだけ気づいた反応の内容や本音を書きたいです。


書くと、そのように考えたきっかけや思考のクセも分かってくると思います。


でも、苦しくてもやもやするだけで、文字にできない場合もありますよね。本音を他人に見てもらう行為もやはり勇気が要ります。文章で表現できないくらいの苦悩があるのかもしれませんね。


それでも文章で表現できたときは、幾分かは心が整理され始めてくると思います。


思考を文字にしてみると、「な―んだ、思考は単なる単語の羅列だったんだ」と再認識できるかもしれません。思考と距離をおくようにできるかもしれませんね。


書きにくいときは、最初は普通の日記のようなものでもいいと思います。絵日記でもいいでしょう。なんでもいいので素直に表現してみましょう。


書くことに慣れるにしたがって、書いた文章をご自分で読み直すことがキッカケで段々と本音の一部に気づくこともできるかもしれません。改善の方針も見えてきます。


表層部の本音は人それぞれの表現になると思いますが、最終的には人類共通の本音に突き当たるのではないでしょうか。

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うつ病とは?なぜsimtなの?


なぜ、うつ病になるのか、その発病経過については、厚生労働省「自殺予防に向けての提言」は、「社会的なつながりの減少や自分が生きていても役に立たないという意識、いわゆる役割喪失感から、危機的な状況にまで追い込まれてしまう過程、あるいは逆に、役割を背負いすぎて、耐えきれなくなるといった過程も明らかになる。また、このような過程でうつ病を発症し、正常な判断ができなくなることも多い。」とされています。


現実世界では自分の思いどおりにならないことがあります。処理しきれないストレスが積み重なります。


外部環境はあるにせよ、結局は自らの心の受け止め方からくる心理的ストレスや、自己評価の低さなどからくるストレスで自分の限界を越えたときに発症することが多いようです。その根本には、自己、世界(家庭、学校、職場など生きている環境・条件)、将来に対しての不安、否定、嫌悪する心理があるとみられています。


つらい思考を繰り返していると扁桃体(感情を起こすところ )が興奮して、その信号が副腎皮質に伝わって、副腎皮質からストレスホルモンが過剰に分泌されるようになります。


この過剰なストレスホルモンが血管を通して脳に伝わると前頭前野、海馬、帯状回などの神経細胞を傷つけてしまうと推測されています。


神経細胞が傷つくと、仕事などに集中する機能、記憶力、思考能力、対人コミュニケーション能力、感情制御能力、などが低下します。意欲も低下します。



心理的柔軟性の欠如、神経生理学的な連鎖の機能低下が原因であり、それを踏まえて対処するのがSIMTの考え方です。 



課題を実行することは、神経細胞の機能を使う行動になっています。 呼吸法、自己洞察法、脳機能活性化トレーニング、運動、ささやかな行動などです。これを毎日、実行します。 人の神経細胞は使用頻度が高いと発達します。使用頻度が低いと神経細胞がすたれます。その神経細胞が使用されると血液が送られて、神経細胞が増殖します。こうして、健康な状態に戻って、うつ病の症状が消失すると推測されます。


詳細は大田先生のHPをご覧下さい。→こちら


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simtって宗教?


宗教ってなんでしょうか?


宗教の定義は、「神や超越的絶対者についての信念や教え」ですから、私の理解が間違っていなければ、どちらかといえば、自分の外に信じるものを求めるということでしょうか。


でも、宗教でも心が楽になるのであれば否定すべきでないし、生きる上での道しるべとして取り入れるのはよいと思います。


ただ理論的説明が少ないため、説明する人によっても言うことが異なるし、誰でもが簡単に理解して救われるものでもないと思います。


もし悟ることを目的にしたら、何十年もかかります。ー生かけても無理かもしれません。


simtは理論的な哲学をベースに構築されているため、着実に理解し実践していく真剣さと実践するエネルギーがある程度あれば、人によって進み具合は異なるにしても、方向が間違ったというリスクは少なく、1年程度で療法としての効果が現れることが多いです。エビデンスがあります。


治る目的だけでなく、心の病になってない人でも、心の使い方を成長することができます。


結論としては、哲学を背景にして神経生理学も融合しているため宗教ではないけれど、生きるか死ぬかのような自己存在の深い苦悩のとき、宗教的教えを否定することもしません。


そのような自己存在の苦悩を扱う場合、simtでは西田哲学の「人格的自己」として現在も研究が進んでいます。

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グルグル思考が止まらない


呼吸法を始めても思考が止まらないですよね。私もそうです。


思考が止まらないときは、きっとそうすることが必要なのだと、ある意味ではあきらめました。


そのままほっておくしかないと思います。


抵抗してもたぶん今はムダです。


抵抗すること自体がストレスになります。


呼吸法を始めたからといって、すぐに止まることを期待してもいけません。


期待そのものがいけません。何に対しても同様です。


過剰な期待はいけません。


期待は、自分の信念や常識と思っている慣習から生じます。


他の人も同じです。自分の考えで生きてます。


他人の本音や感情や思考や行動のどれ一つも思い通りにコントロールできません。


自分自身のことさえほとんどコントロールできないのですから。


呼吸法を少しでもいいから続けるという意志だけはなんとか保ち続けていけば、きっとなんとかなります。


そうは言っても何かしらの方法を知りたいというのが人の常です。


こんなときには例えば「葉っぱの瞑想」がおススメです。


思考との間に適度な距離をとることができるようです。


呼吸法の準備として行なってもよいと思います。


「葉っぱの瞑想」

①姿勢を楽にして目を閉じます。

②頭に浮かんだ思考を小川に浮かぶ葉っぱに乗せて、自然に流れていくことをひたすらイメージして下さい。

③全ての考えを葉っぱに乗せていきましょう。





【追記】

葉っぱの瞑想も良いのだけど、やっぱり五感に意識を集中する方法がいいのかもしれない。どちらか好きな方法をお試しください。


「今、ここ」へ意識を向ける瞑想

①背筋を伸ばして座ってください。

②目は軽く開けてください。

③呼吸は自然にしてください。

④視界に入るものの中から3つ選んで意識を向けてください。

⑤耳に聞こえるものから3つ選んで意識を向けてください。

⑥身体に感じる感覚の中から3つ選んで意識を向けてください。

   (しびれ、かゆみ、痛み、イスや床に触れてる感覚、メガネが顔に触れてる感覚、なんでもいいです。)

⑦見えるもの、聞こえるもの、身体感覚、全て同時に意識を向け、3分間ほど続けてください。



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無になりたい?


無になりたいとはどういうことでしょうか。


なりたいということは、きっと今はつらい思考が自分の意志とは無関係にグルグルと頭の中で渦巻いているのですよね。本当に疲れます。それだけで生きるエネルギーを消耗してしまいます。


そもそも無になりたいという強い願いの自我(エゴ)が発動している間は、そのこと自体も思考の―部となってしまい、本当の「無」から離れていきます。(^-^;


何かに集中している、熱中している状態もある意味では「無」ですよね。


その間だけは我を忘れていますから。


ついつい自分自身を評価・批判してしまいがちな「我」を忘れると集中できます。


思わず、テレビで実況中継する声の大きいアナウンサーを想像してしまいました。(^-^)



雑念もなく目の前の物事だけに集中している状態。


これが常にできれば確かに理想的です。


この「常に」がクセ者です、


自分を取り巻く状況が変わった場合、その心の持ち方がいつも維持できるとは限りません。


状況はどんどん変わっていきます。


家族関係・職場の人間関係・立場・役割・体調・病気・収入、いろんなことが変わってきます。ついつい嫌だと思ってしまうことが沢山出てきます。


そのときも、目の前のことや相手の言葉に集中してマインドフルに反応することがはたしてできるでしょうか?本当に難しいです。(^-^;


たとえ状況が変わっても、冷静に自分の反応の仕方、思考のクセに素早く気付けるようになる、感情や思考を客観視できるようになる、そんなこともsimtのトレーニングには含まれています。


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