HP管理人のブログ

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Eテレの「まる得マガジン」でマインドフルネスやってましたね。どんどんお茶の間にマインドフルネスが食い込んできてますね。(^-^)

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認定書が届きました。




今日から晴れてマインドフルネス瞑想療法士になりました。


素直に嬉しいし、このようなことを学べるチャンスを授かることができて本当に有り難いです。


良くも悪くも過去の全ての縁が今ここに導いてくれました。


これからも勉強と経験と何よりも自分自身がsimtの実践を積んでいかなければ、確かな手応えのある、本質的な意味のある貢献には繋がらないことを心に留めて精進します。






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ありのまま(在るがまま)に見るということ



自分に他人に、または今、この見ているHPにも完全性を求めていませんか?それが不満な気持ちをちょっとだけでも起こしていませんか?しかし不満を持っているままでは、恐らく今のあなたの目の前にはいつまでたっても完全に満足するものは何も現れないでしょう。感じることもできないでしょう。本当はいつも目の前に、周りに、どこにでもあるのです。例えば道路に咲いている花。小さい花も大きい花も枯れて萎んだ花も、どれも本当は完全なものです。生まれた土地、与えられた水、養分、環境の中で、受動的でありながら、美しくなろうと努力しているわけでもなく、あるがままに生きています。

だから美しいのです。そう見ることはできないでしょうか?努力してそう見ようとしているうちは心の葛藤がまだ残っているのでしょう。


マインドフルネスでどんどん深く物事を見られるようになっていくと、自分の内面も外の景色や全ての物事もありのままに見えてくるように少しずつ自然に変わってきます。残念ながらそんなことをいう私もまだいつもそのように見られるわけではありませんが、生きてる場所や環境は違えど、ご一緒にそのように見ていきませんか?




.....こうして書いたあとに何か違和感がありました。自分の言葉で書いたつもりなのに。いつか聞いたり読んだりした本のイメージや記憶、借り物の言葉ではないかと。たとえが、もし花ではなく、好きな人や嫌いな人であればどうでしょうか。一気にハードルが高くなりました。その人たちをこだわりなく同じように完全に美しいと見ることは、今の私には到底むりです。そもそも好き嫌いがある時点で「あるがまま」からほど遠いのですが。


どうでしょうか。そのような悟りレベルまで到達しなくても、まずは生きることができて、生きていることに感謝ができて、意識的に行動・生活し、喜びよりも苦しみが少なめで、誰かに時々でも少しでも貢献することができれば、ほぼ充分ではないでしょうか。


自分が知らなくても、世界の誰かに何らかの形で必らず貢献しています。お店で何か必要なものを買うことでも作っている人は助かります。電車で席を譲ってあげたり、道を聞かれて答えてあげられるとかでもです。あなたは知らなくてもあなたのことを気にかけてくれている人が必らずいます。その人たちはあなたが生きていてくれるだけでうれしいと思ってくれている人たちです。生きているだけでその人たちに貢献しているのです。


もちろん自分が望むような内容で貢献し、貢献できたことを感じることができたならもっとよいのは確かです。そのためにも、価値あることを考え行動する引き金になる意志力のトレーニングを少しずつ始めてみてはいかがでしょうか。



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ありのまま(在るがまま)とは


「ありのままのあなたでいればいいんだよ」、とよく聞きます。それができたら苦労しませんね。それにほとんどの人は本当の自分を知りませんから、簡単にはありのままにはなれないのです。それに自分の内面を深く深く知ろうとする人は少ないのです。本音では嫌な内面を見たくはないので、人は気晴らしにさまざまなことをしています。最も身近なことは、意味もなくTVを見ることでしょうか。それも内面を見ることからの小さな逃避です。気晴らしです。全ての気晴らしが悪いわけではありません。楽しく旅行に出かければ、その間だけは嫌なことを忘れられるかもしれません。でもたいていの場合は帰ってきたらすぐ元に戻ってしまうのです。気晴らしの効果は長くは続きません。(状況によっては、一時的にでも嫌なことを忘れられる安全地帯のようなものは必要です。)私も気晴らし・逃避の多い人生でした。今もそれがなくなっているとはまったく言えませんが。



呼吸法をしながらありのままのあなたを少しずつ見ていきませんか。本音と戦う必要はありません。はじめはただ、そうだね、そうだったんだね、と5オの子供に接するように、自分の本音を暖かく理解してあげるだけでいいんです。あなたが見てくれなければ深い内面は他の誰も見てはくれません。あなたのことを本当の意味で理解することができるのは、あなたしかいません。

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「今ここ」に在る、ということ


今ここ、という本質を言葉で論理的に説明するのは奥深く大変難しいものです。それだけで何冊も本が書けるかもしれませんし、その哲学的探求に生涯をかける先人の方々も存在しました。本当の意味では体験するしかなく、言葉で説明するのは不可能なのかもしれません。私にはまだうまく説明することができません。ただ直感的に以下に引用したイメージで説明すると役立つと思います。ここでもティクナットハン師著作の本から引用させていただきました。


『意識的にお茶を飲むとき、体と心は完全に一つになっています。しかし、にぎやかに音楽が流れるカフェで、たくさんの仕事で頭がいっぱいの状態で座っているとき、あなたは実際にはコーヒーやお茶を飲んでいません。あなたは自分の仕事や心配事を飲んでいます。あなたはそこにおらず、コーヒーもそこにはないのです。あなたが自分に戻り、本当にそこに存在し、過去や未来や心配事から自由に解き放たれているときにのみ、コーヒーや紅茶はあなたの前に実際にあるものとして姿を現します。そのとき、あなたとお茶の出会いも現実のものとなります。これが本当にお茶を飲む、ということです。』(引用元:「怒り 心の炎の静め方」ティクナットハン著:岡田直子訳:株式会社サンガ発行)





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おなら と さとり と 愛


SIMTの取り組みは真面目です。真剣です。でもここにはいろんなことを書いてみたい。最初に書くにはどうかな、と思いつつ。いつも何を考えている人かなとか、人となりが分かってもいいのかなと思い載せてみました。


ある方からおならについてヒントをもらいました。どうでもいいけど、これって実は大事な話かもしれない。「おなら  と  さとり  と  愛」こう書くとちょっとした小説の題名みたい。家族の中で普通にプッププーとおならをできる関係は基本は平和な気がする。そうでなければ何かの心理的な抵抗感か壁があるのかもしれない。人間だからおならは全員している当たり前のことなのに、たぶん人前でするのは恥ずかしいことだという慣習になってる。家族以外のところ、たとえばTVに出てくるような美人さんの、しかも初対面の人の前でも何も気にせずにブップーと赤ちゃんのように何のこだわりもなくできる人は悟ってるかもしれない。少なくても世間的には普通ではないとみられてしまう。もしかしておならは悟りのバロメータなのか。ちょっと飛躍すると、悟りはエゴの無い自分=こだわりもなく全てを手放してる=真我。そして真我は愛そのものだから、おならは実は愛なんだ。なんてことを考え始めたら3時過ぎから寝れない。仕事にならない、どうしよう、でもなんとかなるさ。と笹の葉に乗せてこの思考は川に流そう。と思ったら今朝の川は淀んでいて流れてくれないみたいです。


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