HP管理人のブログ

1491713163

"Snow in the Summer"


本書はミャンマーのウ・ジョーティカ師の私信を集めた書簡集です。最近発刊された「自由の旅」のような理論的な著書ではないのですが、仏教者として、また人間としての心のうちを友人に宛てた手紙の中で表現しています。哲学書のように読んだとしても、とても深いものがあります。非常に心をうたれます。時々無性に読みたくなります。マインドフルネスとしてももちろん学べるところがすごく多いです。


"Snow in the Summer"→こちら

Sayadaw U Jotika著

魚川祐司訳


第一章:心と気づき、そして瞑想

第二章:孤独

第三章:親としての愛と導き

第四章:生、生きることと死ぬこと

第五章:学ぶことと教えること

第六章:価値と哲学

第七章:友情、人間関係、慈愛の念



以下引用


人々は自分の感情から解放されたがっているのですが、誤解されたり操作されたりするだろうとか、自分の全てを知られてしまったら、色々なことを言われたり、愛されないことになるだろうとか、そういったことを恐れてもいるのです。



最も大切なことは、あなた自身の心に気づいていることです。そしてまた、何かをする時の自分の動機に気づいていること。人々は自分が何かを話したり行ったりする際の動機にたいていは自覚的でありませんし、そして自覚的になった時には、多くの場合、それらを正当化してしまいます。



感情を、つまり心の動揺を、あまり真面目に受け取り過ぎないでください。そして、それを正当化しようともしないこと。あなたはあなた自身の人生を生きていて、その時に自分にとって正しいと思われたことを、何であれ行う権利があるのです。もし間違ったら、そこから学んでください。



どうしたら状況が改善するのかと考えれば考えるほど、あなたはますます不幸になります。頭にあるのはいつも未来のための計画ばかり「よい家に住めば、私は幸福になるだろう」「もしこうしたら、私は幸せになるだろう」だけが存在していて「いま私は幸せだ」がどこにも存在していないのです。



あなたにできる最上のことは、心のいまある状態を、自身を責めたり正当化したりすることなく、それを違った状態にしたりそこから逃げ出そうとしたりすることなく、また後ろめたく思ったり恥ずかしく思ったりすることなく、認めて、気づいて、知ることです。



幸福とは、穏やかな心であることです。完全にマインドフルであって、私という思いや感覚がなくなってしまうくらいになること。この幸福は、過去や未来に関する全ての思いが起こらない時――「私」もなく、昨日もなく、明日もなく、計画もない時――にやって来ます。



自分自身を理解していなかったら、どうして他人を理解できるでしょう? そして、自分自身を理解するためには、あなたは自分自身に、全く誠実であらねばならないのです。自分自身に誠実であるということは、本当に難しい。私は偽善者である。そのことを直視するのは辛いことです。



1491701924

よいカウンセラーってなんだろう?


知識のある人

→あるにこしたことはない。でも海の知識があっても実際に泳げないと意味は無いかな。


共感力のある人

→絶対必要。でも全体が見えなくなるようではダメ。冷静さと両立必要。


治癒した経験のある人

→実体験で接することができるのでかなり理想的。でも全てのカウンセラーが経験できるわけでもなく、それならば真剣さと人間愛が必要なのか。


誠実さのある人

→自分の失敗を素直に謝れる。知らないことは素直に伝えられる。知らないことがあっても後で調べてでも答える姿勢。


上下関係として接しない人

→関係の中で学びがあるので勉強させていただく姿勢。シェアしてお互いに成長していく過程を大事にしたい。


余計なプライドがない人

→自分の信じてること、信念がいつも正しいとは限らないことを常に意識できてるか。第3世代の心理療法といっても、人によっては相性もあるし、一長一短もある。いつも本人の意思を尊重しないといけないな。


本音を分かって受け入れている人

→人に薦めるには自分から。


不安や恐怖でコントロールしない人

→不安や恐怖をあおってコントロールしようとするカウンセラーはダメ。自分の心の中から不安や恐怖を減らそうとしているのに、外からそんなことしたら意味がないな。これはカウンセラ―の質を見抜く分かりやすい基準。そんなカウンセラ―はめったにいないか・・・




結局は自分の薦めるものが例えばマインドフルネスであれば、それををキチンと真剣に実践している人がよいカウンセラーの条件ですよね、考えるまでもなく。・・・もっと頑張らなくては (^-^; ・・・でも焦りません、ゆっくり歩みます。






1490757549

沖縄にも沢山のマインドフルネス瞑想療法士の同期生誕生。心強いです。→大田先生のプログ

1490656496

Eテレの「まる得マガジン」でマインドフルネスやってましたね。どんどんお茶の間にマインドフルネスが食い込んできてますね。(^-^)

1490100233

認定書が届きました。




今日から晴れてマインドフルネス瞑想療法士になりました。


素直に嬉しいし、このようなことを学べるチャンスを授かることができて本当に有り難いです。


良くも悪くも過去の全ての縁が今ここに導いてくれました。


これからも勉強と経験と何よりも自分自身がsimtの実践を積んでいかなければ、確かな手応えのある、本質的な意味のある貢献には繋がらないことを心に留めて精進します。






1482052735

ありのまま(在るがまま)に見るということ



自分に他人に、または今、この見ているHPにも完全性を求めていませんか?それが不満な気持ちをちょっとだけでも起こしていませんか?しかし不満を持っているままでは、恐らく今のあなたの目の前にはいつまでたっても完全に満足するものは何も現れないでしょう。感じることもできないでしょう。本当はいつも目の前に、周りに、どこにでもあるのです。例えば道路に咲いている花。小さい花も大きい花も枯れて萎んだ花も、どれも本当は完全なものです。生まれた土地、与えられた水、養分、環境の中で、受動的でありながら、美しくなろうと努力しているわけでもなく、あるがままに生きています。

だから美しいのです。そう見ることはできないでしょうか?努力してそう見ようとしているうちは心の葛藤がまだ残っているのでしょう。


マインドフルネスでどんどん深く物事を見られるようになっていくと、自分の内面も外の景色や全ての物事もありのままに見えてくるように少しずつ自然に変わってきます。残念ながらそんなことをいう私もまだいつもそのように見られるわけではありませんが、生きてる場所や環境は違えど、ご一緒にそのように見ていきませんか?




.....こうして書いたあとに何か違和感がありました。自分の言葉で書いたつもりなのに。いつか聞いたり読んだりした本のイメージや記憶、借り物の言葉ではないかと。たとえが、もし花ではなく、好きな人や嫌いな人であればどうでしょうか。一気にハードルが高くなりました。その人たちをこだわりなく同じように完全に美しいと見ることは、今の私には到底むりです。そもそも好き嫌いがある時点で「あるがまま」からほど遠いのですが。


どうでしょうか。そのような悟りレベルまで到達しなくても、まずは生きることができて、生きていることに感謝ができて、意識的に行動・生活し、喜びよりも苦しみが少なめで、誰かに時々でも少しでも貢献することができれば、ほぼ充分ではないでしょうか。


自分が知らなくても、世界の誰かに何らかの形で必らず貢献しています。お店で何か必要なものを買うことでも作っている人は助かります。電車で席を譲ってあげたり、道を聞かれて答えてあげられるとかでもです。あなたは知らなくてもあなたのことを気にかけてくれている人が必らずいます。その人たちはあなたが生きていてくれるだけでうれしいと思ってくれている人たちです。生きているだけでその人たちに貢献しているのです。


もちろん自分が望むような内容で貢献し、貢献できたことを感じることができたならもっとよいのは確かです。そのためにも、価値あることを考え行動する引き金になる意志力のトレーニングを少しずつ始めてみてはいかがでしょうか。



1482052679

ありのまま(在るがまま)とは


「ありのままのあなたでいればいいんだよ」、とよく聞きます。それができたら苦労しませんね。それにほとんどの人は本当の自分を知りませんから、簡単にはありのままにはなれないのです。それに自分の内面を深く深く知ろうとする人は少ないのです。本音では嫌な内面を見たくはないので、人は気晴らしにさまざまなことをしています。最も身近なことは、意味もなくTVを見ることでしょうか。それも内面を見ることからの小さな逃避です。気晴らしです。全ての気晴らしが悪いわけではありません。楽しく旅行に出かければ、その間だけは嫌なことを忘れられるかもしれません。でもたいていの場合は帰ってきたらすぐ元に戻ってしまうのです。気晴らしの効果は長くは続きません。(状況によっては、一時的にでも嫌なことを忘れられる安全地帯のようなものは必要です。)私も気晴らし・逃避の多い人生でした。今もそれがなくなっているとはまったく言えませんが。



呼吸法をしながらありのままのあなたを少しずつ見ていきませんか。本音と戦う必要はありません。はじめはただ、そうだね、そうだったんだね、と5オの子供に接するように、自分の本音を暖かく理解してあげるだけでいいんです。あなたが見てくれなければ深い内面は他の誰も見てはくれません。あなたのことを本当の意味で理解することができるのは、あなたしかいません。

1482052611

「今ここ」に在る、ということ


今ここ、という本質を言葉で論理的に説明するのは奥深く大変難しいものです。それだけで何冊も本が書けるかもしれませんし、その哲学的探求に生涯をかける先人の方々も存在しました。本当の意味では体験するしかなく、言葉で説明するのは不可能なのかもしれません。私にはまだうまく説明することができません。ただ直感的に以下に引用したイメージで説明すると役立つと思います。ここでもティクナットハン師著作の本から引用させていただきました。


『意識的にお茶を飲むとき、体と心は完全に一つになっています。しかし、にぎやかに音楽が流れるカフェで、たくさんの仕事で頭がいっぱいの状態で座っているとき、あなたは実際にはコーヒーやお茶を飲んでいません。あなたは自分の仕事や心配事を飲んでいます。あなたはそこにおらず、コーヒーもそこにはないのです。あなたが自分に戻り、本当にそこに存在し、過去や未来や心配事から自由に解き放たれているときにのみ、コーヒーや紅茶はあなたの前に実際にあるものとして姿を現します。そのとき、あなたとお茶の出会いも現実のものとなります。これが本当にお茶を飲む、ということです。』(引用元:「怒り 心の炎の静め方」ティクナットハン著:岡田直子訳:株式会社サンガ発行)





- 1 - - 2 - - 3 - - 4 - - 5 - - 6 - - 7 -