HP管理人のブログ

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心の時代 シリーズ「唯識に生きる」


昨日の NHK「心の時代」はシリーズ「唯識に生きる」の第4回「深層からの健康」でした。


前回は食べる瞑想、今回は歩く瞑想をやっていましたね。


ただ歩く、呼吸に意識を向けてただ歩く。マインドフルネスに歩く。


数年前まではこの番組を見たこともなかったけれど最近はよく見ます。年齢と共に早起きになってきたからもあるかもしれません。


生活の全てが瞑想の対象なんですよね。座るだけが瞑想じゃない。


座るとしてもそれは日常に活かすため。


しかし本当は「何々のため」でもなく、全ての行為はそれそのもののためにあるんですね。そのことをついつい忘れてしまうから「今ここ」から意識が離れてしまいます。


心を込めて何かをする。それだけ。ただそれだけ。それが難しいのだけれど、それができたとき、結果的に心や脳をいたわることになります。


・・・あなたは歩くことのできる身体に感謝しながら歩いているでしょうか?


・・・あなたが心を込めてやっていることは何でしょうか?


・・・あなたが心を込めてやりたいことは何でしょうか?



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出来事に何ひとつ無駄なことはありません


いまどんな状況におかれていても


どんなつらいことがあっても


その意味を探るなら


その結果何も分からないとしても


何も変わらないとしても


そのプロセス自体が


やがて意味を持ちます






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海と波のたとえ話


禅・仏教・ヨガ・マインドフルネスの世界では「海と波」もしくは「水と波」のたとえ話がよく使われます。


これを言葉や知識だけではなく、心から自覚できたとき、結果的に心が穏やかにあることができるのだと思います。




◎海を世界全体にたとえた場合、波を個人にあてはめて理解します。


波には小さな波、大きな波、静かな波、荒々しい波、いろいろあります。


それは個性でもあり、風や岩や海の深さなどによる環境でも違いがみられ、あくまでも一時的な表われにすぎません。


波が他の波と見くらべてしまうことがよくあります。


小さな波が大きな波をうらやましくみることもありますが、台風で大きな波に変化することもあるでしょう。


大きな波がちょっと偉そうにすることもありますが、次の瞬間、大きな岩にぶつかって砕け散ることもあるでしょう。


となりの波と比べることは無意味です。なぜなら、海も波もその本質は同じ水だからです。


そのことに気づいて理解した時、それぞれの波が波であるあいだ、今ここで波であることを本当の意味で楽しむことができるのではないでしょうか。





◎海を心にたとえた場合、波を感情に当てはめて理解します。


感情や思考は心の波です。


それらは自分の外部要因で起きたと考えがちです。


実際には自分の心の中で自分自身で作り出して起きています。


一時的に心の中に現れたにすぎないただの波です。


波が起きないように努力してもそれはできません。起きるのが自然です。抵抗するにはものすごくエネルギーが必要になり疲れます。


心の中には全てが包含されています。海のように広く深くどんなものも受け入れられる心。


海の波も本質は水ですから、波と水を区別して考えることは幻想です。波と水はひとつです。


どんな波も形がちがうだけで本質は同じであることに気づくと、感情や思考も本質が同じである心の表現にすぎないことを自覚できます。


気づいていてもいなくても、本当の自分は海のように広く深く海底のようにいつも変わらない穏やかな心です。




参考: 禅マインド ビギナーズ・マインド(サンガ新書)鈴木俊隆, 松永太郎



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自分とは何者か?


土曜日のNHK「心の時代」の再放送で「自分とは何者か?」をテーマの番組だったので、ちょっと考えてみました。


ほとんどの人は今までこんなことを真面目に考えたことはないだろうな。


自分とはこの肉体か?→大切な容れ物だし素晴らしい五感センサーがたくさん備わってるけど違うと思う


自分とは脳か?→全てを自分の意志通りにコントロールできない観点では違う


自分とは原始脳か?→もしかしたらこのあたりが近いのかもって気はするが、本能偏重で生きて幸せなのかと考えると違う気がする


自分とは聞こえている音、見えている物か?→意識しないと認識できないわけだから違う


自分とは感情か?→不安だなとか嬉しいなとか、感情に気づけるということは対象的に気づけるから違う


自分とは思考か?→明日のあの仕事はどうしようかとか、考えている内容、思考にも気づけるから自分自身ではないし、これも対象的に気づけるから自分自身ではない


それならば、対象に気づこうとする意識が自分自身か?→その意識に思考が関わっている限りはやはり思考の領域を出ていないので違う。もし思考が関わっていなければ、もしかするとこれかもしれない。




結論


今の私には分かりません。(^-^;

結局は言葉を使って思考でこねくり回している限りは分からない。でも時々、一見意味の無さそうなこんなことを考えるのも、思考や感情と距離をとって余裕を生み出すキッカケにはなります。

自我の出てくる前の赤ちゃんは意識せずに身体全体で感じ切って生きている。だからどの赤ちゃんも無邪気で幸せそうな本当の笑顔をみせてくれる。誰にでもそんな時期があったことがなんか不思議でもあり、ヒントにもなり、救いかな。

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評価せずに観察するということ


受動局面のマインドフルネスの基本は「意図的に注意を向ける、評価せずに注意を向ける、今この瞬間に注意を向ける」なのですが、


特に「評価せずに注意を向ける」ということが実際にやってみると本当に難しいです。


(評価せずに注意を向ける=評価せずに観察する=ただみる=無心にみる≒考えが起きてもそれに気づいてあるがままに感じる)



人から言われた言葉、人のしぐさ、表情・・・


過去にあったことを思い出しつつ人を見てしまう、反応してしまう・・・


あの人がいやだ、あの人のようになりたい・・・


物事の正しさ、誰かが決めた基準、それを自分のものさしでそんなことは間違ってると評価、批判したり、当然と評価したり・・・


自分の思った通りに進めばそれは当たり前と評価し、進まなければ残念と評価してしまう・・・


今のままの自分ではダメかもしれない・・・


自分の限界はここまでだ・・・とか



全ては自分のものさし、本音・自我というフィルターを通して見ています。


それはコロコロ変化しますからまったくアテになりません。


そうせざるをえない自分の本音に優しく気づき、観察することが大切です。


空に流れる雲のように、評価する反応も思考も、自然に発生してしまうものですが、ムダな抵抗をせずにただ観察することで、自然に消えて行きます。もし抵抗したくなったらその抵抗そのものもただ観察します。


本来の私たちはいつも自分が思っているような自分ではありません。思考そのものでもありません。観察することによってそれを認識していきます。


本来の自分は・・・つづきはまたいつか。



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「今ここ」を味わう脳の働き


「今ここ」を大事と分かっていても、いつも味わえるわけではないですよね。


忙しくて日常に時間的余裕がなく、心が潤ってない時、


表面上は時間的余裕はあるようだけど心理的余裕がない時、


どちらも脳の働きに余裕が無くなっていて、心がキャパオーバーなのですね。


余裕の無さで考えたとき、


関係するもののひとつに「ワーキングメモリ」という脳の働きがあります。


脳の部位としては前頭前野がその中枢です。


たとえるなら、パソコンの一時的なフラッシュメモリと似たようなところがあります。


処理したい複数のことに対して余裕のある量のメモリをもってないと、動作がとてもモッサリし、時にはフリーズもするかもしれません。


パソコンではなく人間の場合は感情もありますから、ワーキングメモリがうまく働かないと、


集中したい仕事があっても、他のことが気になってうまく集中することもできずにイライラします。


人との会話でも理解できないことが多くなりピント外れな受け応えになりがちです。


料理などの複雑な段取りを考えて動くことが難しくなります。


いろんなことがうまくできなくなると自信を無くして悪循環のループに入ってしまいがちです。


そうなると、「今ここ」を味わうどころではなくなります。



他にも関係するもののひとつに「DMN:デフォルトモードネットワーク」という、近年盛んに研究されてきている脳の働きがあります。


何もしていないときに活性化する領域で、普通の人でも脳のエネルギーの約7割を消費するそうです。


DMNは車のアイドリングにも喩えられます。静かで安定したアイドリング回転数なら安全に発進できますが、不規則で高い回転数ではうまく発進することができませんし、ガソリンを浪費します。


もしこのDMN領域が心配事や反芻思考で休みなく過剰に活動すると、身体は休んでいても脳は疲労して疲れがとれないのではないでしょうか。


そうなると、やはり「今ここ」を味わうどころではなくなります。



「今ここ」や「脳の働き」という理解や知識を得てもスタートラインに立っているにすぎませんが、呼吸法は脳のワーキングメモリを活性化、DMNを調律する作用もあることを知った上で実践することが、呼吸法を継続するちからを持たせてくれるものと思います。



...私にとってはちょっと難しい内容を書いていて疲れました。(^-^;


ひとときの清涼飲料?としてお気に入りの文章を引用させてください。今ここを穏やかに楽しむ知恵になりそうな美しい文章です。



「地球を楽しむ」ティク・ナット・ハン


ふたりの宇宙飛行士が月に行く。

月に到達すると、事故が発生してあと二日分の酸素しかないとわかる。地球から救援隊が来てくれる可能性はゼロで、残された時間はあと二日しかない。そこで2人に訊ねてみる。「いま一番したいことは何ですか」彼らはきっとこう答えるだろう。


「わが家に戻って、美しい地球の上を歩きたい」それだけで十分だ。それ以上に何を望むことがあろうか。大会社の社長にも、有名人にも、アメリカ大統領にもなりたいとは思わない。


地球に戻る以外に望むことなどないだろうーー大地を踏みしめて一歩一歩を楽しみ、自然の音に耳を傾け、愛する人の手をとって、月を想うこと以外に。


毎日、月から救出されたばかりの人のように生きてみよう。いまこの地上で、この尊く美しい惑星の上を、味わい楽しみながら歩いてみよう。

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"Snow in the Summer"


本書はミャンマーのウ・ジョーティカ師の私信を集めた書簡集です。最近発刊された「自由の旅」のような理論的な著書ではないのですが、仏教者として、また人間としての心のうちを友人に宛てた手紙の中で表現しています。哲学書のように読んだとしても、とても深いものがあります。非常に心をうたれます。時々無性に読みたくなります。マインドフルネスとしてももちろん学べるところがすごく多いです。


"Snow in the Summer"→こちら

Sayadaw U Jotika著

魚川祐司訳


第一章:心と気づき、そして瞑想

第二章:孤独

第三章:親としての愛と導き

第四章:生、生きることと死ぬこと

第五章:学ぶことと教えること

第六章:価値と哲学

第七章:友情、人間関係、慈愛の念



以下引用


人々は自分の感情から解放されたがっているのですが、誤解されたり操作されたりするだろうとか、自分の全てを知られてしまったら、色々なことを言われたり、愛されないことになるだろうとか、そういったことを恐れてもいるのです。



最も大切なことは、あなた自身の心に気づいていることです。そしてまた、何かをする時の自分の動機に気づいていること。人々は自分が何かを話したり行ったりする際の動機にたいていは自覚的でありませんし、そして自覚的になった時には、多くの場合、それらを正当化してしまいます。



感情を、つまり心の動揺を、あまり真面目に受け取り過ぎないでください。そして、それを正当化しようともしないこと。あなたはあなた自身の人生を生きていて、その時に自分にとって正しいと思われたことを、何であれ行う権利があるのです。もし間違ったら、そこから学んでください。



どうしたら状況が改善するのかと考えれば考えるほど、あなたはますます不幸になります。頭にあるのはいつも未来のための計画ばかり「よい家に住めば、私は幸福になるだろう」「もしこうしたら、私は幸せになるだろう」だけが存在していて「いま私は幸せだ」がどこにも存在していないのです。



あなたにできる最上のことは、心のいまある状態を、自身を責めたり正当化したりすることなく、それを違った状態にしたりそこから逃げ出そうとしたりすることなく、また後ろめたく思ったり恥ずかしく思ったりすることなく、認めて、気づいて、知ることです。



幸福とは、穏やかな心であることです。完全にマインドフルであって、私という思いや感覚がなくなってしまうくらいになること。この幸福は、過去や未来に関する全ての思いが起こらない時――「私」もなく、昨日もなく、明日もなく、計画もない時――にやって来ます。



自分自身を理解していなかったら、どうして他人を理解できるでしょう? そして、自分自身を理解するためには、あなたは自分自身に、全く誠実であらねばならないのです。自分自身に誠実であるということは、本当に難しい。私は偽善者である。そのことを直視するのは辛いことです。



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よいカウンセラーってなんだろう?


知識のある人

→あるにこしたことはない。でも海の知識があっても実際に泳げないと意味は無いかな。


共感力のある人

→絶対必要。でも全体が見えなくなるようではダメ。冷静さと両立必要。


治癒した経験のある人

→実体験で接することができるのでかなり理想的。でも全てのカウンセラーが経験できるわけでもなく、それならば真剣さと人間愛が必要なのか。


誠実さのある人

→自分の失敗を素直に謝れる。知らないことは素直に伝えられる。知らないことがあっても後で調べてでも答える姿勢。


上下関係として接しない人

→関係の中で学びがあるので勉強させていただく姿勢。シェアしてお互いに成長していく過程を大事にしたい。


余計なプライドがない人

→自分の信じてること、信念がいつも正しいとは限らないことを常に意識できてるか。第3世代の心理療法といっても、人によっては相性もあるし、一長一短もある。いつも本人の意思を尊重しないといけないな。


本音を分かって受け入れている人

→人に薦めるには自分から。


不安や恐怖でコントロールしない人

→不安や恐怖をあおってコントロールしようとするカウンセラーはダメ。自分の心の中から不安や恐怖を減らそうとしているのに、外からそんなことしたら意味がないな。これはカウンセラ―の質を見抜く分かりやすい基準。そんなカウンセラ―はめったにいないか・・・




結局は自分の薦めるものが例えばマインドフルネスであれば、それををキチンと真剣に実践している人がよいカウンセラーの条件ですよね、考えるまでもなく。・・・もっと頑張らなくては (^-^; ・・・でも焦りません、ゆっくり歩みます。






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