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コントロールできることはある?


今からもう雪さん降らないで、とお願いしたいくらいの雪が積もりました。

天候には逆らえないし、コントロールできません。コントロールできる領域ではありませんから。それは当たり前だとよく分かっているから雪を恨んだりもしないしそれほどストレスになりません。お前の(雪)のせいでこんなに汗だくになったなんてこと思わないですよね。


だけどそれが人間で自分ではない他人だったらどうですか?何かを期待しますね。思う通りに動いてくれない場合はストレスになります。他人の行動は、命令できる役割の人から指示されれば、受ける役割の人は仕事ならばミッションとしてたとえ意に沿わなくてもそれなりに動いてくれます。でもその人の思考や感情までは思う通りになりません。本音が隠れているとき、仕事の質を大きく左右します。他人の思考や感情もコントロールできない領域です。ここを頭で理解してもついつい錯覚して期待するからストレスになるのですね。


それでは自分は自分自身をコントロールできてるのでしょうか?あのことは考えたくないと思いながら考えてしまう悩みのようなもの。こころあたりがありますよね?そうだとすれば自分の思考もコントロールできるとは言い切れません。感情はもっとコントロールできません。逆にコントロールするべきではない領域です。


そう思うと何ひとつ本当の意味ではコントロールできないのですね。あるがままに物事が流れて行きます。だからといって何もしないであきらめるということではありません。あるがままに感じて自覚して観察して受け入れつつ必要と思ったことを淡々と行動に移していく。。。


雪掘りで疲れたので最後の締めの言葉がうまく書けませんが、コントロール出来ないことを出来ると錯覚してしまうフィルターを雪のように溶かしてしまいましょう。そうすれば気持ちが少しは楽になれますよ、というお話しでした。


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苦しいなら自分の考えを疑うことも必要


ストレスや苦しさがあるとき、そこには思考のクセである信念が必ず存在する。どんな現実だとしてもそれが現実。その現実を無視していつまでも自分が正しいと思っている。マインドフルネスを始めてみても、その見方が変わっていかなければ果てしなく苦悩は続く。


アドバイスを受けても、心に柔軟性がなければ、自分の考えが正しいと考える限りは苦悩は何も変わらない。聞きたいことしか耳に入らないため、ほとんどのアドバイスは役に立たない。


だから、ストレスがあるとき、苦しいときくらいは自分で自分の考えを疑ってみることが大切になる。疑ることでようやく気づけることがある。調べもしないで否定することとは意味が全く異なる。本当は自分のことは自分が一番よく知っている。他の人から自分の本音を観ることはできない。(カウンセラーの援助で本音を見つけ出すことはできるかもしれないが)


人に言われたことは納得できなくても、自分で気づいたことは納得しやすいもので、知識では解決できない気づきの体験がそこにはある。但し、深い気づきはマインドフルな状態でなければ得られない。


マインドフルネスを続けると自然に見方が広くなってくる。俯瞰的な視野になる。自分の中に全ての答えがあることに気づいてくる。

しかし、何に対してどんな問いかけをするのかが重要だ。そして自分を正当化せずに真剣に問いかけていく。それが自己洞察のプロセスであると理解している。


たまには自分に対してこう問いかけてみよう。それは本当か?


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今日は町内の「さいの神」


雪を踏み固めてスペースをつくるのに大勢で頑張りました。

新雪をかんじきで踏むのですが、腿上げしないとできないので日頃の運動不足を痛感しつつ、マインドフルに踏みました。


小正月を健康のまま迎えられてよかった。(^_^)


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なぜ瞑想がしたいのか?


ふと今思った。なぜ自分は瞑想しているのだろう?なぜ瞑想したいのだろう?


初めて瞑想という文字を見たときは、何にもしないで座ること(と勘違いしていた)に何の意味があるのか全く理解できなかった。


初めて瞑想にトライしたときは、何も考えないように努力すること(と勘違いしていた)に意味が分からなかった。


しばらくはリラックスしたい目的だけで過ごしていた。


そして今、何のために瞑想したいのかを自分に問う。


なんのためでもないし、すべてのためでもある。


今はやりたいからやる、でよいのだと思ってる。


でも人に伝える時にはそれでは説得力ないですが(^^;


人によっては目的をもって取り組んでも良いし、そうでなくても良いと思ってる。どちらにしてもその人にとって役立つことはそれなりにあると思うし。


これに限らず、苦しく感じるほどにはあまりこだわりすぎないのが良いと思うな。どの道をどんな風に通っても気づきながら歩きさえすれば。


気づきながら歩くのがやりたいこと、在りたいことだな。

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「14才からの哲学」


 池田晶子著


何年も前からずっと気になっていた本を読みはじめました。まだ読んでいる途中ですが、想像以上に良い本だった。


本当の意味で考えるとはどういうことか、


生きるとは、


自分とは、


他人とは、


白由、善悪


世界とは、


存在、あることの不思議


いろんなテーマが味わい深く、気づきのきっかけになる。著者も言っているが、悩むではなく真に考えることで人生に幅と深みと味がでてくるだろうことも頷ける。



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分かり合えないとき


人と会話が成立せず怒りが訪れたとき


人と深く分かり合うのは難しいとさとったとき


そういうときこそなるべく早めに自分の本音をみる


本当は自分の思いをうまく表現できず、受け入れてもらえないことに対する自分に対しての怒りと悲しみではないだろうか


承認欲ではないだろうか、孤独感ではないだろうか


ほとんどの普通の人はそんなものだろう


その怒りや悲しみと自分の中で一体化していることにその瞬間にはなかなか気づけない


人はそれぞれ自分が正しいと思い込んでいることを現実として捉える


過去の経験で形成された思考や信念はすべて自我にとっての制限ある事実でしかない


だけれども、制限されていることを前提にしたら、みんながみんな究極的には正しい


おそらくそれしか選択できないのだから


だけど苦悩があるなら、自分だけの正しさの概念は早めに手放した方がいい


分かってほしいと思ったら、同時に分からなくてもしかたのないことだと思うようにする


世界を写す鏡には自分の都合のよいことばかり写すわけじゃない


そのままありのままあるがままに写る


どんな世界であったとしても、写した世界を見て感じられる生命である自分を奇跡だと思うことにしたい


そして日々、鏡を磨く


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あるがまま


HPでこのテーマについて何度か書いていますが、自分でも完全に腑に落ちているわけではありませんし、納得できるほど実行できているわけでもありませんし、評価せずに生きれているわけではありません。日常では評価しまくっていますし、認めて欲しい承認欲も変わらず残ってます。仕事しながら愚痴も言います。自分の心に正直に生きれているわけでもありません。人に誠実になれないこともあります。不安や恐れもまだ沢山あります。反応する長年培ってきた性格というか癖はなかなか修正できません。性格を修正するつもりもありません。不純な本音も純粋な本音も人にはどうしたって見えません。もし見えているとしてもフィルター越しにしか見えていません。自分にもまだ見えないことや、フィルター越しにしか見えていないことが沢山あるはずです。


いろいろな自分を嫌いにならずにそのまま受け入れることが「あるがまま」の第一歩なのだと思います。


考えていることに気づく。そして気づいていることにも気づく。


昨日の指差し実験も、対象にしか意識が向かない習性を転換する手助けになるように思います。


自分の本質は、何にも影響されない空間の気づきであり、完璧な受容能力でもある。


光の当たるスクリーンのようなもの。


姿を映す鏡のようなもの。


物を入れる容器や部屋のようなもの。


雲が漂う空のようなもの。


波しぶきのある海のようなもの。


それは生まれてからずっと変わらずに見守っていてくれた。自我全開で生きていても嫌いにならずに飽きずに自分という自我と共に居てくれている。


そしてあるがままに見ることも手助けしてくれる「それ」



今年も今日で終わりです。いろいろありましたが、何よりも心身ともに健康に生きることができて本当に幸せでした。


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自己を洞察するとはどういうこと?


自己を洞察するとはどんなことなのか、このクリシュナムルティと博士たちの議論の動画を見ると深く分かるような気がします。私はまだまだ浅いレベルでしか洞察していないのだなと気づきました。


https://youtu.be/AoMS5b2MLRc

(第4部まであります)


まだ途中までしか観ていないので感想は後日。


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