HP管理人のブログ

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苦しいなら自分の考えを疑うことも必要


ストレスや苦しさがあるとき、そこには思考のクセである信念が必ず存在する。どんな現実だとしてもそれが現実。その現実を無視していつまでも自分が正しいと思っている。マインドフルネスを始めてみても、その見方が変わっていかなければ果てしなく苦悩は続く。


アドバイスを受けても、心に柔軟性がなければ、自分の考えが正しいと考える限りは苦悩は何も変わらない。聞きたいことしか耳に入らないため、ほとんどのアドバイスは役に立たない。


だから、ストレスがあるとき、苦しいときくらいは自分で自分の考えを疑ってみることが大切になる。疑ることでようやく気づけることがある。調べもしないで否定することとは意味が全く異なる。本当は自分のことは自分が一番よく知っている。他の人から自分の本音を観ることはできない。(カウンセラーの援助で本音を見つけ出すことはできるかもしれないが)


人に言われたことは納得できなくても、自分で気づいたことは納得しやすいもので、知識では解決できない気づきの体験がそこにはある。但し、深い気づきはマインドフルな状態でなければ得られない。


マインドフルネスを続けると自然に見方が広くなってくる。俯瞰的な視野になる。自分の中に全ての答えがあることに気づいてくる。

しかし、何に対してどんな問いかけをするのかが重要だ。そして自分を正当化せずに真剣に問いかけていく。それが自己洞察のプロセスであると理解している。


たまには自分に対してこう問いかけてみよう。それは本当か?


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今日は町内の「さいの神」


雪を踏み固めてスペースをつくるのに大勢で頑張りました。

新雪をかんじきで踏むのですが、腿上げしないとできないので日頃の運動不足を痛感しつつ、マインドフルに踏みました。


小正月を健康のまま迎えられてよかった。(^_^)


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なぜ瞑想がしたいのか?


ふと今思った。なぜ自分は瞑想しているのだろう?なぜ瞑想したいのだろう?


初めて瞑想という文字を見たときは、何にもしないで座ること(と勘違いしていた)に何の意味があるのか全く理解できなかった。


初めて瞑想にトライしたときは、何も考えないように努力すること(と勘違いしていた)に意味が分からなかった。


しばらくはリラックスしたい目的だけで過ごしていた。


そして今、何のために瞑想したいのかを自分に問う。


なんのためでもないし、すべてのためでもある。


今はやりたいからやる、でよいのだと思ってる。


でも人に伝える時にはそれでは説得力ないですが(^^;


人によっては目的をもって取り組んでも良いし、そうでなくても良いと思ってる。どちらにしてもその人にとって役立つことはそれなりにあると思うし。


これに限らず、苦しく感じるほどにはあまりこだわりすぎないのが良いと思うな。どの道をどんな風に通っても気づきながら歩きさえすれば。


気づきながら歩くのがやりたいこと、在りたいことだな。

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「14才からの哲学」


 池田晶子著


何年も前からずっと気になっていた本を読みはじめました。まだ読んでいる途中ですが、想像以上に良い本だった。


本当の意味で考えるとはどういうことか、


生きるとは、


自分とは、


他人とは、


白由、善悪


世界とは、


存在、あることの不思議


いろんなテーマが味わい深く、気づきのきっかけになる。著者も言っているが、悩むではなく真に考えることで人生に幅と深みと味がでてくるだろうことも頷ける。



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分かり合えないとき


人と会話が成立せず怒りが訪れたとき


人と深く分かり合うのは難しいとさとったとき


そういうときこそなるべく早めに自分の本音をみる


本当は自分の思いをうまく表現できず、受け入れてもらえないことに対する自分に対しての怒りと悲しみではないだろうか


承認欲ではないだろうか、孤独感ではないだろうか


ほとんどの普通の人はそんなものだろう


その怒りや悲しみと自分の中で一体化していることにその瞬間にはなかなか気づけない


人はそれぞれ自分が正しいと思い込んでいることを現実として捉える


過去の経験で形成された思考や信念はすべて自我にとっての制限ある事実でしかない


だけれども、制限されていることを前提にしたら、みんながみんな究極的には正しい


おそらくそれしか選択できないのだから


だけど苦悩があるなら、自分だけの正しさの概念は早めに手放した方がいい


分かってほしいと思ったら、同時に分からなくてもしかたのないことだと思うようにする


世界を写す鏡には自分の都合のよいことばかり写すわけじゃない


そのままありのままあるがままに写る


どんな世界であったとしても、写した世界を見て感じられる生命である自分を奇跡だと思うことにしたい


そして日々、鏡を磨く


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あるがまま


HPでこのテーマについて何度か書いていますが、自分でも完全に腑に落ちているわけではありませんし、納得できるほど実行できているわけでもありませんし、評価せずに生きれているわけではありません。日常では評価しまくっていますし、認めて欲しい承認欲も変わらず残ってます。仕事しながら愚痴も言います。自分の心に正直に生きれているわけでもありません。人に誠実になれないこともあります。不安や恐れもまだ沢山あります。反応する長年培ってきた性格というか癖はなかなか修正できません。性格を修正するつもりもありません。不純な本音も純粋な本音も人にはどうしたって見えません。もし見えているとしてもフィルター越しにしか見えていません。自分にもまだ見えないことや、フィルター越しにしか見えていないことが沢山あるはずです。


いろいろな自分を嫌いにならずにそのまま受け入れることが「あるがまま」の第一歩なのだと思います。


考えていることに気づく。そして気づいていることにも気づく。


昨日の指差し実験も、対象にしか意識が向かない習性を転換する手助けになるように思います。


自分の本質は、何にも影響されない空間の気づきであり、完璧な受容能力でもある。


光の当たるスクリーンのようなもの。


姿を映す鏡のようなもの。


物を入れる容器や部屋のようなもの。


雲が漂う空のようなもの。


波しぶきのある海のようなもの。


それは生まれてからずっと変わらずに見守っていてくれた。自我全開で生きていても嫌いにならずに飽きずに自分という自我と共に居てくれている。


そしてあるがままに見ることも手助けしてくれる「それ」



今年も今日で終わりです。いろいろありましたが、何よりも心身ともに健康に生きることができて本当に幸せでした。


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自己を洞察するとはどういうこと?


自己を洞察するとはどんなことなのか、このクリシュナムルティと博士たちの議論の動画を見ると深く分かるような気がします。私はまだまだ浅いレベルでしか洞察していないのだなと気づきました。


https://youtu.be/AoMS5b2MLRc

(第4部まであります)


まだ途中までしか観ていないので感想は後日。


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マインドフルネスの誤用、悪用


私にマインドフルネスを指導してくれた大田先生を含め、深く洞察されている方々はマインドフルネスの誤用、悪用を心配されています。悪用でなくてもリラックスを第一の目的とされる場合、弊害はあまり心配いりませんが、困っている人々にはあまり意味の無い浅いマインドフルネス(と呼んでよいかも疑問)です。


誤用や悪用の例としては、

・エビデンスもなく確実な効果があると誇大に広告

・社員の生産性改善を主目的に利用

・生徒を静かにさせるためだけの方便として利用


マインドフルネスも人が使う技術のひとつですから、動機とその本音が大切だということでしょう。


マインドフルネスは宗教性を排除したものではなく、本物の宗教から活用しやすい部分だけを取り出したもの。活用させて頂いているという謙虚な気持ちが基礎にないと、悪気がなくても誤用してしまうのですね。


どの分野でも同じです。深いものほど限られた人にしか理解できないかもしれませんが、本物であればそのかわりに長く残る。浅いものは広がりやすいかわりに時代の流行として早く廃れる。西田哲学を基礎にしているマインドフルネスsimtは心理療法として活用している都合上、他のマインドフルネスのMBSRやACT等と同じく対象のある二元論の範囲を扱います。しかし西田哲学のその先は一元論であり、限りなく深いものがあります。したがって、心理療法としてのマインドフルネスsimtをお伝えする現場においては、二元論であるがための効果を出したい罠にはまらないように正しく活用する努力をすれば、それはそれでよいのだと今は腑に落ちています。


マインドフルネスが一時期だけの流行で誤った理解で広がってしまわないことを祈りつつ、私はできることを私なりに地道にコツコツ進みます。

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